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zoom RSS 草の戸も住替る代ぞひなの家

<<   作成日時 : 2016/11/01 10:03   >>

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29の年まで、風呂もない6畳のアパートに住んでいた。

結婚を機に吉祥寺の近くの風呂付きアパートに引っ越すことになったが、正式に二人で引っ越しする前に家具もないアパートに一人でしばらく住んでいた。

部屋に風呂のある暮らしが刺激的というか、新鮮だったのだ。

その話をかみさんがお袋にしたところ、「あの子はそういう子なのよ。菅谷の家が建ったときも、引っ越す前に一人で行って寝泊まりしてたわ。もう待ちきれないのね。」と語っていたそうだ。

13才の俺がそんなことをしていたなんて、殆ど記憶になかったが、言われてみればそんな気がする。


小学生の低学年の頃は、両親とともに旅館の一室で暮らしていた。

窓を開けても、隣のビルの壁しか見えない湿った部屋で、隣に客用のトイレがあり、あまり落ちつける環境ではなかった。

父だけがベッドで寝て、その枕元に、旧式のラジオ付きデジタル時計が置いてあったことだけは覚えている。

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ベンケーシーとかやってた頃だから、幼稚園の頃かもしれない。

そのうち妹が二人になり、俺と上の妹は、浴衣などの置かれていてる物置部屋の隣の洋間をあてがわれた。

ここも陽の射さぬ部屋で、二段ベッドと机だけでいっぱいになる狭い部屋だった。

小学5年生くらいからは、仏間に一人で寝るようになった。八畳の和室で、大きな仏壇と先祖の遺影がいつも俺を見下ろしていた。

深夜ラジオを聞くようになったのはこの頃のことだった気がする。オールナイトニッポンやセイヤングで睡眠不足になりながらも遅刻することなく小学校に通っていた。

そして中学生になったときについに父が俺たちの家を建ててくれた。

初めて気がねすることなく、家族だけで暮らせるようになったのだ。そんな環境が嬉しくて、ついつい自転車で先乗りして泊まり込んでいたのたろう。中学まではこちらの方が近かったこともある。

父親が当時38才ぐらいか。俺がこっちに帰ってきて家を建てたのが37才だから、まあ同じような頃に一国一城の主となったわけだ。

13才ぐらいから18才までをこの家で過ごし、上京したあとも、盆と正月は必ず帰省して家族で過ごした。

柱には俺たちの身長が刻まれており、そのうち妹の娘やうちの娘たちの身長も刻まれるようになった。

そんな思い出の染みついた家を先日最後に訪ねることとなった。

中学生の頃に新築でわくわくして泊まりこんだ家が廃屋になっている。

玄関は雨漏りがして、台所や茶の間には当時使っていた食器や家具が散乱していた。

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45年ほどかけてひとつの家の始まりと終わりを見てしまったわけだ。

障子に映る庭の木々の影は、昔となんら変わらないが、今はそれを見る人もいない。

この家はそのうち人手に渡ることになる。直して使うのか、更地にしてしまうのかは分からないが、いずれにせよ、もうこの場所で俺たち家族の会話が響きわたることはない。

人に墓があるように家にも墓があればいいのに。

そんなことをふと思ってしまった。

今日は冷たい秋雨が降っている。こんな日はやはり少しメランコリックになってしまうようだ。

そんな俺のために今日もポチリ。




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